六尺褌と歩く①~とある小さな蘇民祭より~

「蘇民祭」の起源は、「蘇民将来」の伝承に基づくという。
詳しくは専門の文献を当たられたいが、その名の人物にまつわる行事だともいう。

他説、古代東北を計略したヤマト王権と、
往時現住していた先住者たちの戦いに重ねる方もおられる。
なるほど、この祭の代表的な開催地は奥州水沢、往古戦いの爪痕深い山間の地、
いま人は「奇祭」と呼ぶが、むしろ著しい世の中の移り変わりの中で、
最も原初的な祭の作法が残るとも言えるだろう。

調べてみると、現在の岩手県にはこうした「寒詣」の風習が色濃く残る。
蘇民祭の総本山とも言うべき「黒石寺」は
おそらくは関係各位にとって「思わぬこと」で全国的に著名となったが、
知られることもなくひっそりと守られている蘇民祭がいくつかあるのだという。
ずっと世俗に知られることのない、ごく小さな集落の蘇民祭を追った。

祭の本義として、コミュニティ結束の確認がある。
しかし少子化や人口流出の波はもれなく寄せ、
実際には当該地区周辺の参加者によって成立している。
興味深いのは、同様の寒詣を持つ地域同士が、その存続に結集していることだった。

この蘇民祭では、参加者がともに同じ色の鉢巻を用い、
同様の胴巻・白褌を締め上げて参加する。
殊に「褌」ではなく「さらし」と言い習わすのがこの地方で、
胸から下をきつく巻きつけるスタイルに統一されているのが美しい。

夕刻、上半身裸のまま拝殿での祈りが続き、しばらく御神楽が響き渡る。
この時点で相当芯まで堪えるはずだが、参詣者は動じない。

身支度を整え、褌姿で現れた若者たちは、
赤い向う鉢巻も勇ましく境内をぐるりと巡り、行燈を掲げて願意を示す。
赤々と上る炎を囲み、且つ又その上に駆け上り気勢を上げる。
軽妙な土地言葉の古老がいい。
やおら、山内節をうなるその姿もまた、いい。

何度も何度も炎を旋回した後、静かに一団は去る。
見上げると舞台には、力強く響く和太鼓があった。
燃え盛る火と打音に、否が応にも気分は高まる。
そこへ一通りの演目を終えて引いた二人の奏者が、もろ肌を脱いで現れた。
筋骨隆々、褌姿でのクライマックスである。
煌々と照らされた肌も鮮やかに、舞台は佳境となる。
汗をにじませて深々と頭を下げた一人は駆け出し、
黄色い向う鉢巻で肉弾戦に決起する一団と合流し、
その姿のまま蘇民袋争奪戦に飛び込んだ。
彼は数少ない地元地区からの参加で、
最後には、無事に「取り主」の一人になったようだ。

取り主を決めるまでは、血気盛んな戦いである。
しかし事が決まれば、蜂の子を散らすように引いてゆく。
雪上に展開する赤い肌、闇夜には都会では絶対に見られない星の粒。

文字通り、一山挙げての厳寒の祈りである。
「イベント」ではない、祭の原点を見たような気がする。

祭りの〆に、麻の蘇民袋そのものを鉈で切り裂き、
縁起物として分けていた。幸せを約束するものだという。

管理人は全くの部外者ではあるが、
土地の若者がその一部をさらに割いて手渡してくれた。
幸せを分かち合う土地の人情に、心満たされる夜であった。

この記事へのコメント

中年褌男
2013年03月10日 15:09
黒石寺の蘇民祭はあまりにも全国的に有名となり観光化してしまったのは、ある意味で残念です。逆に本来の寒詣の良さは小規模に守られている蘇民祭にあるように思います。まだ地元民から参加者があるのは、嬉しいことですし、何とかその伝統を守ってほしいももです。
2013年03月16日 11:45
>中年褌男

意外なことですが、地元には「むしろ観光化も一過性のものだった」との声もありました。
マスコミ報道に翻弄されるのは良くも悪くも、という所のようです。