六尺褌と歩く③~奥の鳶、その粋~

「裸参り」という言葉がある。
代表的なものに宮城県・仙台の大崎八幡宮で行われる「どんと祭」
そこで行われる大規模なものがあるが、
百万人の近代都市を、古式ゆかしいいでたちで進む姿もまた美。
勇ましくも女性の参加者がことのほか目に付く。
かの伊達政宗公が白装束で参陣したというエピソードまでも脳裏に浮かぶ。
企業参加など、多くは胴巻と木綿の祭ズボンの中、
勇ましくも六尺一本の姿で挑む学生もいた。
幟には大学の所属部が染め抜かれている。
まさに「平成の伊達者」と言うべきか。

北へ上って岩手県・盛岡の裸参りは、やや趣を異にした。
厳格で重厚で質実剛健、
さながらこの地が生んだ新渡戸稲造「武士道」の世界である。
胴巻に白褌、藁で作られた牛蒡巻と向う鉢巻、さらに紙垂。
さながらその人こそが清浄かつ清廉な、横綱の土俵入りさえ想起する姿。
草鞋の指先はさぞ冷たかろうと、心配るずっと先の「痛さ」

印象的なのは、口に銜えている三角の「はさみ紙」
神前への供物が穢れないように、吐く息を閉ざすという。
お百度参りの名残で銭を挟んだとか、寒さを堪えるため唐辛子を挟んだとも聞く。
いずれ、真一文字に結ばれた口に言葉は無い。
言葉を放ってはいけないのだという。

見守る我々も、一行を横切ることは絶対に許されない。
道中の男たちは振り返ることも認められない。
彼らに少しでも触れることがあってはならない。
ただひたすら歩くのではなく、鳥居をくぐったその時から、
最大限に膝を曲げ、静かに左右の雪を踏み固めるように押し進む。
そうした一連の「定め」にこそ、美学がある。
もし、この祭礼を目にする機会があるなら、
そうした地元の方々が大切にしている思いを大切にしてほしい。

彼らを一番傍で見守る世話人の姿も一様である。
「御用鳶」と染め抜かれた半纏の理由を聞くと、
藩政時代に当主から御用を与った消防組という。
数百年続く「自警消防」がこの祭を支えていると知り、驚愕した。
確かに、次代を担う年少者に事細かく教えを与えている青年の背中に
FIRE VOLUNTEER と反射素材で現代風に。

または背中に旧藩の御紋を染め抜き、
あるいは祭礼で神輿を担ぐ鯔背な男達が役を担う。
受け継がれる精神の美しさが、一層精悍なその所作を高める。

身支度を整える銭湯も廃れ、今では健康ランドで褌を解くとか。
何もかも変わる世の中ではあるが、祭は途切れることがない。
しかも裸参りはこの他にも、いくつかあるのだという。

道すがら、消防団の方に「はさみ紙」を頂く幸運に恵まれた。
同様に手にした土地の女性に聞けば、願いをしたためて神棚に飾るのだというが、
しかしこれ手にできることは稀だ、と嬉々として言う。

しかも「もっと差し上げますか。私はもう貰いましたから」
重ね重ね、この土地の人の心の優しさに触れた。
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