祝祭のまちで

太鼓芸能集団「鼓童」の、浅草公演を目にする機会を得ました。

浅草と言えば、東京ではかつての「大衆芸能」華やかなりし頃、その原初たる地。
彼らがなぜ今ここに、との思いを胸に抱きながら。

やはり見どころは、「大太鼓」です。
何しろ、「一人打ち」を確立したのは他でもなく彼ら。
今やどの地方の太鼓コンテストでも、当たり前のように行われているこのスタイル。
鬼太鼓座から鼓童に連なる歴史の、日本の太鼓文化への影響力を物語ります。

時代は絶えず移り、人は新しいスターを常に追い求めます。
カリスマ性がなければ、とてもこの舞台は務まりません。
時に技や体躯を越えた、魂のようなものの作用を感じることさえあります。

演目「大太鼓」はその極致。
奏者はふんどし一丁、文字通りの裸一貫。
櫓の上で孤立無援、一身に視線を浴びながら、自力の一本勝負。

飾るものも捨てるものも隠すものも無い。
その「潔さ」に、我々はまず、固唾を飲みます。

背筋の密な動き、はち切れんばかりの大腿筋、どっしり発達した大臀筋、
鞭のようにしなるはじめの奏者。

広い肩幅から繰り広げられるダイナミックな撥さばき、
繰り返す打音に呼応して、勢いよく全身で奮う次の中堅奏者。

大きく脚を開き、祈るように太鼓に向かいながら、
若さ一杯に荒々しく立ち向かう23歳の奏者。
彼はまだ体つきこそ発展途上だが、この若さで大抜擢されたようだ。

それぞれの奏者の、それぞれの打芸の違いがいい。
最初の奏者は次の演目「屋台囃子」で、鼓童創立メンバーを思い起こすような
非常にキレのある動きを見せてくれた。

彼らにとってそのルーツとゆかり深いこの地で、
原初の響きをさながら揺り起こしたような、浅草での上演。
思えば、先に鬼太鼓座もこの土地で上演を果たしている。

浅草には芸能文化の誇り高い記憶が刻まれている。
それは神や仏への祈りを背景とした、祝祭性そのもの。
三社祭のために一年を過ごすような、そんな人々の街であればこそ。

昔の日本人と違い、スラリと伸びたその体に
褌はあまりにも異次元なような気もする。

なぜ敢えてそんな古めかしいいでたちで、と思う人も少なくないだろうが、
これはあくまでも下着と同列に語ってほしくはない。
何しろ彼らは、「穿いている」のではなく、「締めている」のである。
三社祭の要所で、これを取り囲むあらゆる人々が締め込みをするのに近い。
この心意気は、極めて神聖だ。

加えて、筋繊維の一つ一つまで詳らかにするようなこの衣装は、
やはり特別な意味合いを内在している。

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