アメリカの褌

外国人の目に、六尺褌はどのように映るのでしょうか。

「褌を締め直す」という言葉と、それが生まれる風土、背景を知らない彼らにとって、
それは単に「下着」であり、露出度の高いパンツという評価に成らざるを得ないでしょう。

この傾向は現代の日本にも言えることで、
ネット上、「ふんどしの巻き方」や「ふんどしの結び方」「ふんどしのつけ方」で
検索している方が多いことからも窺えます。

越中褌との区別も曖昧ですから、
これを「締める」と表現したり、越中褌を六尺褌と誤解して
「締め込もう」としている人さえいます。

最も驚いたのが「ふんどしの穿き方(ふんどしの履き方)」という表現。
六尺褌は「締めるもの」、同時に心を引き締めるもの、
祭礼でも馴染みの霊性を帯びた衣装。
日本人からも、そういう感覚は急速に失われつつあります。

さて、米国に数ある太鼓集団の中にも、
鬼太鼓座や鼓童の影響を受け、六尺褌を締めて太鼓を打つ団体がいくつかあります。
「taikoproject」はその一つですが、
ここに「外国人にとっての六尺褌」を見るヒントがありました。



ドラムの一種として受け入れられた日本の太鼓。
日系人と思しき奏者が、粛々と大太鼓を打ち鳴らします。
ステージの画面にはその説明が表示されるのですが…

「昔の日本じゃ、チップを奏者の褌に入れたもんだよ。
…まぁ、冗談だけどな」
「君も早く彼みたいに褌一つになれよ、みんな待ってるぞ!
 (大きく首を振って嫌がっている演出)」
「褌姿になった途端、君ちょっと張り切り過ぎなんじゃないのか?
まぁ、そんなところも悪くないけどな」
(意訳ながら)こんなところでしょうか。

固唾を飲んで見守るような真剣な空気の中に、度々ジョークを織り込んだ演出。
これは全く、米国人ならではの感覚…

神社仏閣でも、太鼓は特別な場面で用いられる神具・仏具。
思えば、「笑いの要素」を取り入れた鬼太鼓座の舞台も、
太鼓では笑いを喚起せず、剣玉など他の要素を用いています。
しかもそれは、ジョークではなくユーモア。
日本人特有の感覚を、逆に教わったような気分になりました。
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