素心若雪

さきの会津の寒詣、実は筆者も参加した。

心構えは正直無かった。
ただ、無理強いでも不可抗力でもなく、
ごくごく自然な流れというのか、
そんな不思議な受容力が、そこにはあった。

思い立ったらすぐにでも、とばかりに
温泉には褌の準備がある。
祭りの名が紺に染められたものと、まっさらな晒。
みな一様に、名前入りを手にする。

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厳密には半反、横ミツを幾度か巻く長尺褌。
縄を登った時、あと少しのところで上から助力を得るのにいいらしい。
なるほど、腰回りの布が厚ければ、掴みやすい。

清めの酒が振る舞われ、しばし談笑。
夜8時になると徐に「そろそろか」と「締め込み」が始まる。
非日常の姿に、皆が高ぶる。

はるばるやって来た若者も多い。
「なんとなく友達と参加してみようってことになって」
屈託のない笑顔で言う。
動機とは、本当に思いがけないものである。

気合充分、それでも飛び出した男衆の波には、早くも勢いに差が見える。
今すぐにでも引き返したい弱さを曲げて、誰かが誰かの名を呼ぶ。
それはまるで、挫けそうになる歩調を取り戻す魔法のようだ。
誰ともなく「わっしょい!」と叫べば、それこそそれよと応酬する。
路地には裸に清酒を振る舞う町の人々。あたたかい。

雪氷でじわりと濡れた石段は、足先の感覚そのものを奪い去る。
冷たさの先にある温度、それは痺れでも痛さでもない。
もはや、「無」だ。

この一日だけ「七日堂」と呼ばれる堂宇には、
早くも綱をよじ登る男たちが見えた。
鰐口には六尺一本の男二人が向かい合い、頂点を目指す男たちを待ち受ける。
ひしめく吐息の群れに紛れると、まるで寒さは無かった。
せめぎ合い、ときに押し合うことはあれど、
我先に人を蹴落としたり傷めたりすることは無い。
荒くれ者たちの喧嘩まつりではない、実に調和の取れた美しい祈り。

小さな子が必死に綱を掴めば、
それを下から後押しし、上から引き上げる大人がいる。
遠慮がちな中学生がいれば、先に行けよと周りが圧す。
倒れた人を支える人、落ちないように後ろから押さえる人、
どこの誰がというでもなく、それは無防備な姿同士だからこそ守り合う。

屈曲な裸たちが、次々と高みを目指す姿は画になる。
しかし、その下にある世界にこそ、この祭の本質はある。そう思えた。
二十歳そこそこの若者たちは肩を組み、仲間との連帯を確かめる。
生まれたままの姿でぶつかりあう祭礼である以上に、ここには心の壁が無い。
この祭の為だけに、年に一度だけこの町へ来て、
この町に泊まり、酒肴を交わし、静かに帰っていく人も多くいるのだという。
それを受け入れる懐の深さも、会津ならではの土地柄なのだろうか。

厳冬、暗夜の、裸たち。
モノクロの世界に放たれた非日常は一時間。
ヤマ場を迎えて官能的な香が焚き染められ、半ば空虚に浸る。
高らかに鐘が打ち鳴らされると、いよいよ「頑張れコール」が巻き起こり、
最後の最後まで男たちを「至高」に到らしめんとする絶頂が訪れる。
直下で見上げる姿も崇高だが、真上から見下ろす姿もまた、格別と言う。

気付けばポツリポツリと人影は消え、
切ないほどに「祭のあと」となった。

護符が挟まれた「牛王の矢」を頂戴し、さらに御酒を頂く。
志が重なりあう一時間は、日々の一時間とはまるで違う。
帰途にも振る舞いを行う町の人。
誇らしい日本の原風景が、ここにはある。

飾らない心、
この見えないものを伝えゆく
地と人の虜になろう。
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