晒木綿あれこれ

六尺褌の素材として代表的なものが、晒木綿(さらしもめん)です。
晒木綿は文字通り、木綿を晒して白く仕上げたもので、
通称「サラシ」と呼ばれます。

サラシと一口に言いましても、
昔ながらの熱処理を施した和晒、
薬品処理を施してより白く仕立てたものなど、様々な種類があります。
殊に日本料理に使われるものは、出汁取りに無くてはならないものですが、
これには無漂白のものが用いられます。
ところが近年では、若年層に晒そのものが知られていないようです。

サラシは万能の布地で、胴巻として、
妊婦には岩田帯としての存在感は健在です。
古くはおむつにも利用されてきましたが、機能性の高い紙おむつの台頭で
ベビー用品としてドラッグストアで見かけることも少なくなりました。
布おむつも、伸縮性のあるドビー織が主流のようです。

さて、その「サラシ」にはどのような種類があるのでしょうか。
あまり知られていないのですが、
実は糸の太さや織によって大きな違いがあります。
一般的に薬局薬店で売られているのが、安価な「文」規格
手拭などの染めに用いられることの多い「岡」規格
浴衣などしっかりコシのある「特岡」規格
大きく分けてこれらですが、「特文」と呼ばれる規格も存在します。

ただ厄介なのは、こうした明確な表記がなされている商品は多くありません。
また、関東地方では「文」と呼ばずに「総理」と呼ぶようです。

布生地の幅についても、32cmであったり34cmであったり、
それぞれの製造元によって規格が異なり、長さについても
「6m保証」といったような表記がなされています。

「昔からそうだから」と言われればそれまでで、
このような緩やかな規格が生きているのも
それはそれで趣深いものです。

ただ、このような規格の違いがあることがあまりにも知られていないために、
時折祭礼などで、どうにも不格好な六尺褌を見かけることがあります。

薄手の「文」は風通しも良く、物を濾すのに使われますので、
捻じり上げる祭の締め込みには、聊か頼りないところがあります。
体格の良い方であれば、「岡」をお勧めします。
ただ、二重にして締め上げる場合には「文」の方が軽く柔らかです。

捻じらず、また腰の安定を求める場合には「特岡」をお勧めします。
水を浴びるお祭りではこちらが透けにくいという利点もあります。
また生地がしっかりしていますので、前垂れ式の六尺を締める時のように
縦ミツが一重にしかならない場合は安定感があります。

具体的な商品名では、
「御殿晒(月)」、「御殿晒(天)」
「雪かもめ晒」「特上天上晒」が
私のお勧めです。

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「道」

筋骨隆々、褌姿も勇ましく。
大太鼓に立ち向かう益荒男の姿が、そこにある。
太鼓芸能集団「鼓童」の、全国公演「道」のポスターである。

ここ暫く、彼らは強い肉体表現から距離を置いていたように思う。

新しいチャレンジに向けての一環だったのかも知れない。
が、この転換に戸惑いを覚えた人は少なからずおられたようだ。

もはやこのスタイルは表現方法として確立されていて、
日本の太鼓の歴史としてしっかり成立している。
時にそれは、アマチュアの太鼓団体が取り入れるほどで、
無論、それは「鼓童に対する最大限のリスペクト」だ。

それが今、改めて見直され「回帰」したと捉えてよいのだろうか?

何一つ、失うものも隠し得るものも無く。
「なぜ褌一つで太鼓を打つ必要があるのか」と問われれば、
いま、多くの人は説明に窮するだろう。
敢えてこのことに、筆をとっておきたい。

「緊褌一番」という言葉が、死語になりつつある。
ほぼ褌を引き締めることが、経験として無くなったからだ。
こと六尺褌について、クラシックなアンダーウェアという理解は正しくない。
この背景にある文化に言及するとき、スピリット、ソウル、タフネス。
諸外国の人々に伝えるには、言葉があまりにも足りない。
しかし言葉を尽くし本邦の人々へ伝わるのかさえも、
疑わしい時代なのである。

日本人は、「儚くも正々堂々と美しいもの」に惹かれてきた。
茶道、華道、剣道、柔道、相撲道。
そこには明確な、精神ないし肉体の鍛錬がある。

清らかにして、正しくあること。
これは「神道」にも連なる崇高の理念である。
神事における褌とは、まさにこの体現に他ならない。
飾らないことの美しさは、あらゆる「道」に通じるのである。

贅を尽くした豪奢な衣装ではなく、僅かな布きれに集約された「潔さ」
我が身に代えて、思いを背負い、
身一つで尊い何かに近づいて行く奏者の在りように
そこはかとない有難さを思い、思わず合掌する。
そんなメンタリティが、確かにあった。

今の大太鼓は、往年のそれとは違っていた。
かつては極限まで躰を絞り上げた若者が、これでもかこれでもかと太鼓を打った。
さながら舟を漕ぐような姿勢で挑む演目「屋台囃子」では、
腹筋の凹凸も明らかなほど、無駄を削ぎ落とした姿で奏者は舞台に立った。
もういいじゃないか、十分じゃないか、と思うのだが、
彼らの撥も流れる汗は止まることを知らない。
大勢の観衆の拍手が、裸一貫の純な若者たちへと向けられる。

奏者らはむしろ小柄で、見上げるばかりの巴紋に立ち向かう姿は
それだけで健気ささえ覚えた。
全身から立ち上る湯気と噴き出す汗の光が満ち、
その意気や良し、とばかりに会場は半ば陶酔したような空気が満ちた。
これは、判官贔屓に似た感覚だろうか。
高揚する空気は少し、神楽にも相通じるものがあった。

今はどうか。
ギリシャ彫刻のような立派な身体の男が、
有り余る力に寄せて和太鼓を打つ。
それはもうかつてのスタイルとは違っていて、
むしろ、以前より明確に肉体性を誇示するもののように私には見えた。
褌と言うよりloincloth、ここには無国籍的な何かを感じた。
和太鼓が鼓童と言う偉大な存在によって
舞台芸術に昇華されるうちに、
日本人も、日本を取り巻く環境や価値観も
これだけ大きく変貌を遂げたのだ、と。

とは言え、薄暗闇の奥の方から、
迫り出す櫓に乗った大太鼓と、その前に控える奏者のいでたちは
日本人の我々にとっても非日常の極致であり、
先ほどまで幕間に感想を漏らしていた観衆もこの時は絶句する。
祭にも伝統芸能にも無いこのスタイルに「日本」を感じさせるのは、
他ならぬ鼓童のたゆみない努力の結晶である。

この絶句こそは、聖なるものに触れた時の畏怖そのものであり、
祝祭の扉を開いた心の高鳴りによるものであろう。

本公演では、異国の笛を吹き鳴らす輩とともに、
神官のような男が舞いながら大太鼓を導く。
新しい時代の幕開けを告げるかのように。

ぜひ一度、舞台をご覧になられてはいかがでしょうか。
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蘇民将来

大寒の暦めくるその頃、
みちのくの山懐を訪ねた。

「蘇民祭」は、岩手県に特異的に集中している。
その流脈は、かの高名な黒石寺蘇民祭に源を発し、
今ある数多の蘇民祭は、その祭儀に遡ると聞く。

近頃では、共にこの伝統を繋ごうと、
担い手の連携が進んでいるのだと云う。

現代でこそ、近代的な道路が整えられているが、
さながらその隠れ里は町場から離れ、
暮らしは深い信仰に根差したことは想像に難くない。

戸隠、熊野、
はるか西国の遠く離れた聖地の名を冠する社が
この集落に伝え守られてきたことに、
ただただ驚きを憶える。

およそ光と思しきは、提灯の照らす鳥居ばかり。
それでも一連の祭は幾多の善男善女を集め、
雪浅き冬とは思えぬ自然のステージを作る。
密やかな中にも、賑々しく執り行われるのが
この祭りの醍醐味である。

ささやかな露店に、温もりを宿すカップ酒。
まだ早い時間には子らが集まり、厄年の裸男たちが蒔く餅を拾う。

進行役を務める老人の、声は優しい。
譲りあい、支えあい、皆でこの福を分け与えることこそが重要、と促す。
この戒めこそ「真実の教え」
幾代にも同じように伝えられたであろう、その教示。

収穫から収奪へ、「まつろわぬ民」とされたみちのくの命は揺らぐ。
先人のたゆまぬ努力により、今でこそ穀倉地帯と呼ばれる東北だが、
ほんの百年程前まで、この地は稲作不適地であった。
新たな文化を受容する中で、今なお通底するのは「共に生きる」思い。
地域の使命を継承する、祭という名の文化である。

この集落は、所謂「義民」生誕の地である。
今、この事実を知る人は多くない。
身を挺し、村の人々の安寧を勝ち得た男。
時の権力に抗し、露と消えた男の霊魂は、
なお「黙示」として生きているのではあるまいか。

そんな山中に木魂するのは、この祭の将来を案ずる古老の言葉である。

決まって催される歌や踊りの舞台にも、寒風が吹き荒ぶ。
太鼓の打ち手も、新しい顔を迎えるには至らない。
ここにも、確かに人口減少の風が吹いている。
その轍を辿る人は、いつの時代にもどこかには現れるものだが、
時に人の願いは叶わない。

「せめて皆様の浄財を少しばかり」と古老はお道化て見せるが、
朽ち始めた本堂の屋根は、何をか言わんやである。

うずたかく積まれた組み木は炎を浴びて、伽藍を照らす。
それは生木と乾燥木の組み合わせであり、
かつてはもっともっと、高かった。
徒に伐採した木々ではなく、落雷によって倒れた木を用いている。
つまり、天に選ばれたご神木である。
来年以降に使う材木も、既に今、決まっている。

かつては祭を待つまでの間、人々は焚火をもって暖を取った、という。
今では許されないこと、と注釈を入れながら、
古老は若き日の祭の思い出を披露する。
連綿とこの繰り返しが、歴史を創る。
ただ、確かに時代は変わっていく。

頼もしいのは、それでも多い祭りの担い手の若さ。
感服する。

純白の晒木綿六尺をキリリと締め上げる。
晒一反の胴巻きを伴う、昔ながらの蘇民祭のいで立ちである。
この土地特有なのか、揃いの色布を首に纏う。
厄払行事の盛んな当地では、厄年連と呼ばれる同期の一団が存在感を放つ。

かたや黒石寺蘇民祭は、時にその様を奇祭と称され、
霊水を幾度も浴びる荒行に息をも呑むが、
闊達な若者たちが元気に気勢を上げるのはまた、趣を異にする。

揉み合う人いきれ、堂宇を埋め尽くす裸。
時が経つのを忘れるほどに、熱い争奪戦が繰り広げられる。
蘇民袋から小間木が弾け飛ぶと、参拝者も挙ってそれを奪う。
ただ、人々はこれすらも皆に分け与えるのである。

競って奪うのは、幸せを独り占めするのではなく、
皆に分け与えるための手段に過ぎない。
掌の小さな小間木が、一層重く感じた。

子々孫々に受け継がれる清らかな祭。
地霊とも呼ぶべき先人の思いよ、永久に。
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会津再訪

本当に不思議なことがある。
晒半反ただ一つ、褌を締め上げてから、
針を刺すようなあの冷たさは、
どこへ飛んでゆくのだろうか。

会津柳津虚空蔵尊・七日堂裸詣り。
今年もこの場所にある事を慶ぶ。

荒くれ者の祭りではない。
それは、この坩堝に立って初めて解る。

裸の男たちが、夜中の石段を駆け上がる様は壮観である。
時に、褌は袴、鉢巻は冠だと考える祭りがあると聞く。
山門を越える時に与えられる鉢巻は、正に入門裁可のようで、
愈々眼前に待ち受ける「水垢離場」への意気も高まる。

男たちは、上に往くほど太くなる独特の荒縄を上る。
当然、誰もが頂点を目指しているように見える。
ところが、目を凝らせば、
腕を組んで微笑ましく見上げる笑顔があるし、
後ろに続く人に「足元に段差があるぞ、気をつけろ」と諭す声がある。

我も我もと裸は続くが、
人を押しのけてまで進む影に限ってはなぜか身を崩して、奈落の底へと落ちる。
後悔しても始まらない。
元の場所に戻るにはあまりにも壁が高い。
男たちの裸の壁が。

かたや、勢いに押されて倒れた子には、
誰からともなく救いの手が差し伸べられる。
まるでこの空間が、俗世の縮図を一幅の画に収めたかのように。
人いきれ、満ち満ちた熱気は、混沌の渦となる。

遠巻きには分からないが、堂内は複雑な構造をしていた。
綱に向かう一角が、舞台のように前へとせり出している。
皆その「ステージ」へ躍り出ようと、必死の揉み合いだ。

その舞台に立てば、目指す場所は近い。
ところがそれを許さないのが世の常で、
奈落に蠢く人の波は激しく綱を揺すり、
よじ登る裸はそれに耐えなければならない。

裏手に回れば、またここに人間模様がある。
スクラムを組むように、じっと下支えしている男たちがいる。
自らは舞台に上ることなく、ひたすら見知らぬ他人を持ち上げる。
脚光を浴びるのは、舞台の上でもごくごく一部だ。

天井の梁から救い上げる人。
人目につかない裏舞台で忍ぶ人。
なぜか、いずれも、笑顔である。

笑顔はないが、ともすれば都会の通勤ラッシュそのもの。
ただ、裸の波は摩擦を捨てて、人と人とを直に繋ぐ。
天に立った者だけが何かを得られるわけではない。
衣を捨ててこの場で祈りを捧げた者には、一様に守り矢が授けられる。
ではなぜ、人は頂きを目指すのか。
これは禅の境地のようにも思えてくる。

なぜこの場所の、なぜこの時期に、
なぜを繰り返せばキリがないが、
それをなぜと思わせるほど、時の移ろいは激しく、
また知り得ぬような変化を重ねている。

不思議の大海の中で、泳ぎ辿り着いた先に
変わる事の無い蓬莱の島があるとしたら、
それこそはこの、只見河畔に映る円蔵寺かも知れない。
そんな趣のある古刹である。
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素心若雪

さきの会津の寒詣、実は筆者も参加した。

心構えは正直無かった。
ただ、無理強いでも不可抗力でもなく、
ごくごく自然な流れというのか、
そんな不思議な受容力が、そこにはあった。

思い立ったらすぐにでも、とばかりに
温泉には褌の準備がある。
祭りの名が紺に染められたものと、まっさらな晒。
みな一様に、名前入りを手にする。

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厳密には半反、横ミツを幾度か巻く長尺褌。
縄を登った時、あと少しのところで上から助力を得るのにいいらしい。
なるほど、腰回りの布が厚ければ、掴みやすい。

清めの酒が振る舞われ、しばし談笑。
夜8時になると徐に「そろそろか」と「締め込み」が始まる。
非日常の姿に、皆が高ぶる。

はるばるやって来た若者も多い。
「なんとなく友達と参加してみようってことになって」
屈託のない笑顔で言う。
動機とは、本当に思いがけないものである。

気合充分、それでも飛び出した男衆の波には、早くも勢いに差が見える。
今すぐにでも引き返したい弱さを曲げて、誰かが誰かの名を呼ぶ。
それはまるで、挫けそうになる歩調を取り戻す魔法のようだ。
誰ともなく「わっしょい!」と叫べば、それこそそれよと応酬する。
路地には裸に清酒を振る舞う町の人々。あたたかい。

雪氷でじわりと濡れた石段は、足先の感覚そのものを奪い去る。
冷たさの先にある温度、それは痺れでも痛さでもない。
もはや、「無」だ。

この一日だけ「七日堂」と呼ばれる堂宇には、
早くも綱をよじ登る男たちが見えた。
鰐口には六尺一本の男二人が向かい合い、頂点を目指す男たちを待ち受ける。
ひしめく吐息の群れに紛れると、まるで寒さは無かった。
せめぎ合い、ときに押し合うことはあれど、
我先に人を蹴落としたり傷めたりすることは無い。
荒くれ者たちの喧嘩まつりではない、実に調和の取れた美しい祈り。

小さな子が必死に綱を掴めば、
それを下から後押しし、上から引き上げる大人がいる。
遠慮がちな中学生がいれば、先に行けよと周りが圧す。
倒れた人を支える人、落ちないように後ろから押さえる人、
どこの誰がというでもなく、それは無防備な姿同士だからこそ守り合う。

屈曲な裸たちが、次々と高みを目指す姿は画になる。
しかし、その下にある世界にこそ、この祭の本質はある。そう思えた。
二十歳そこそこの若者たちは肩を組み、仲間との連帯を確かめる。
生まれたままの姿でぶつかりあう祭礼である以上に、ここには心の壁が無い。
この祭の為だけに、年に一度だけこの町へ来て、
この町に泊まり、酒肴を交わし、静かに帰っていく人も多くいるのだという。
それを受け入れる懐の深さも、会津ならではの土地柄なのだろうか。

厳冬、暗夜の、裸たち。
モノクロの世界に放たれた非日常は一時間。
ヤマ場を迎えて官能的な香が焚き染められ、半ば空虚に浸る。
高らかに鐘が打ち鳴らされると、いよいよ「頑張れコール」が巻き起こり、
最後の最後まで男たちを「至高」に到らしめんとする絶頂が訪れる。
直下で見上げる姿も崇高だが、真上から見下ろす姿もまた、格別と言う。

気付けばポツリポツリと人影は消え、
切ないほどに「祭のあと」となった。

護符が挟まれた「牛王の矢」を頂戴し、さらに御酒を頂く。
志が重なりあう一時間は、日々の一時間とはまるで違う。
帰途にも振る舞いを行う町の人。
誇らしい日本の原風景が、ここにはある。

飾らない心、
この見えないものを伝えゆく
地と人の虜になろう。
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七日堂裸まいり

山奥、という感じはしないのは、
思いのほか雪が少ないからだろうか。
こんもりと緩やかな丘に抱かれ、眼前には遥か水面が開ける。
急峻な崖上に建つ堂宇に至ると、夕刻を告げる寺の鐘が鳴る。
うねる様なその響きに耳を澄まし、遠くを見やると、
ここにずっと逗留したくなる、そんな郷愁にも誘われる。
真摯な祈りの時に備えて、参道の石畳を掃き清める人の姿が美しい。

会津柳津、臨済宗 妙心寺派 円蔵寺。
「柳津虚空蔵尊」として高名である。

東京から遠いのが、いい。
ひたすら電車に揺られて辿りつく若松城下。
さらにそこから県境を隔てる奥の会津へ。
これが豪雪だったら、右も左も判らないモノクロの世界。
真冬、車で来るにはなかなかどうして、勇気が要る。
この地に到るのは、二度目となる。

改まる年の初めの清々しさ、その日の町は祭の前とは思えない。
世にいう「七日堂裸まいり」である。

ここが七日堂と呼ばれるのは、この日、ただ一日。
一年に一度の、この日のみ。
闇の中、300人もの男たちが褌一つでここに集うのだ。
ただ、その3時間も前から陣取る輩がそこに蠢く。
若衆が走り、よじ登る綱を目がけて、早くも凌ぎを削る。

円蔵寺は数年前、この祭りで堂内の写真撮影を禁じた。
その動画で利を得ようとする動きがあったためと云う。
三脚の持ち込みも明確に咎めている。
しかし、世俗の人間には通じないのだろうか。
レンズは既に壇上を向いている。

寺は、参加者にも自制を求めた。
「背中に願い事を書くこと」を禁じたのである。
「自身の願意だけを求める場ではない」という
極めて教義的な理由。
歴史ある行事を護持する人々の、見識の高さが窺われる。

褌一つになって、町中を裸足で過る。
真冬の夜に冷水を浴びて、男たちが駆ける。
この所作とは、まさに私利私欲との決別である。

その発祥からして、厄災を消除し皆の幸福を願う本来のあり方に
回帰しようということは、現代、観光の名の下に諸々組み込まれてしまった
多くの祭事では、勇気のいることである。
まさに、「英断」以外、言葉が見つからない。

この決まりは徹底していて、
誰一人これを乱す者は無かった。

ただ後日、気になったことがある。
この祭礼を報じる、大手の報道機関による
「ふんどしに似た下帯と呼ばれる衣装」という表現である。

私の見識不足かも知れないが、
「下帯」は「ふんどし」の別名ではなかろうか。
記者が想起する「ふんどし」が何を指すのかは判らないが、
少なくとも「下帯」は、この祭礼に固有の衣装では無さそうだ。

ともあれ、糾弾するつもりは毛頭ない。
言葉が馴染み薄さが、理解を妨げてしまう時代が来たという事だろう。
自身、非力に猛省するばかりである。

様式の美 用の美

鬼太鼓座 北本公演
「疾風迅雷」鬼太鼓座 暁 akatokiを駆ける! へ。

小旅行気分で、電車に揺られると、
人波を抜けた穏やかな年の瀬。
午後の景色は、初春を思わせる麗らかさ。

丁度良い散歩で会場へ。
「最後まで居なくたっていいんだろ?」
入口で、いきなり驚かされる。

団体行事での観覧なのだろうか。
彼はこれから出会おうとする舞台を、
世界に知られたこの存在を
きっとまだ知らないのだろう。
直にそれは、間違いなく覆される。
私にとって正にそれは、
他人事であっても至福ですらあった。

想像以上に立派なホールだ。
ステージは奥行きが深く、
幕が開けばその瞬間、
我々はもう既に別の世界へと誘われている。

振り絞る響きに、空気が締まる。
緊張感を増すのは、観客の側である。

横笛の指遣いを、もっと近くで見たいと思った。
隣りの席の外国人は聊か興奮した様子で、
双眼鏡の奥をじっと追う。

前段を端折ってしまう勝手を、お許し頂きたい。
ステージに据えられた大太鼓は、斜めを向いている。
このスタイルを目の当たりにするは初めてだ。
全身全霊、背中で語る「いつもの」形勢から、
奏者の表情まで窺いうる角度になった。

外界の静けさをよそに、それは雷鳴の如く唸る。
「ニッポンイチ!」
絶妙な間合いで、
観客席の後背から切れの良い掛け声が飛ぶ。
屋台囃子のうちの一人は新人のようだ。
腹筋を駆使ししなる体躯に、往年の座員を重ねた。
幼さの残る表情には初々しさがある。
褌一丁、身を露わに打つことに、
まだ迷いや恥じらいが見える。
ただ溌剌とした撥のキレが、目に、耳に、心地いい。
恥じ入るような無駄は、一分も無い。
その成長を見守りたい。

太鼓はやはり、こうでなければ。
そんな思いを新たにする。
思い込みだと言われても。

兎角、人は世に新たなものを問うとき、
「過去を否定」してしまう。

伝統とは革新の連続と云う。
ここで言う革新とは、「肯定」だと私は考える。
鉢巻・半纏・褌といった「衣装」の否定を謳うことは、
太鼓を通じた表現そのものに、何ら関わりの無いこと。
他のシンボルの否定は、自己否定ですらある。
だが、こうしたことが
自己表現の場で語られることを憂慮する。
敢えて言上げせずとも、この国には
「新たな試みを評価する土壌」が
まだまだあるのだから。

途中退席する人など、一人もいなかった。
当然である。
この圧巻の世界を、誰ひとり見逃すべきではない。

佳き音は、確かに継承されてゆく。
一つの時代を創り上げたムーブメントは、
伝統とは呼ばれずとも、
一つの確立された様式美、
そして用の美だと信じたい。

この春、映画「ざ・鬼太鼓座」が
デジタルリマスターで息を吹き返す。
創立者が、出演者が、制作者が、
それをどう評価したか。
そんな過去を含めて、再評価される時代が到来している。
文化を取り囲む環境は、絶えず自由だ。

人も替(変)わる。
何もかも、ずっと同じではない。
そんな思いに至る。
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緊褌一番



「緊褌一番」と言う言葉を、聞く機会がおありだろうか。

過日、ふと手にした緑茶のペットボトルに
この四文字を見つけることができた。
俳句大会を主催していることで知られる、日本の清涼飲料メーカーのものである。

その紹介と解説に、果たしてどれだけの人が理解を示すことが出来ただろう。
口にすることの無い言葉の行く末は、儚いものだ。

褌を引き締め、緊張感を高めること。
この「褌」が日常着ではないのだから、
それを引き締めるという感覚は、生活様式からは想像しにくい。

もとより、褌の種類についても、理解が及ばないのが現実で、
今、よくある誤解は、越中褌のような下肢を覆い隠すタイプの下着で
「緊張感を高める」というもの。

禊などに用いられることの多い越中褌とは、
清浄を求めたいわば六尺褌の簡易版で、
結ぶものであれ、締めるものでは無い。

褌に「履く」「巻く」という表現はそぐわないが、
こうした表現の誤りを正す場面もない、という現実がある。

パンツ・アンダーウェアという外来の言葉では表現できない
独特の精神性を、褌は帯びていることに注意を払いたい。


ときに、六尺褌を締めた姿を
「勇ましい」「凛々しい」「逞しい」と感じる感覚は、
日本の文化を暗黙の裡に共有している証左とも言える。

パンツを穿いた裸身と、六尺褌を締めた裸身とでは、
なぜ、かようにも印象が異なるのか。
この感覚の違いは、先の「緊褌一番」に集約されるのである。

装飾を脱ぎ捨てるばかりでなく、
「引き締める」という行為によってその決意を視覚伝達された時、
当人のみならず、周囲がその思いを汲み取るのは、
他ならぬ固有の文化。

いま、ネット上に見られる褌を取り扱った幾つかのサイトが、
とりわけ「日本文化」に言及しておられるのも、
こうした文化的背景の欠損を危惧しておいでなのではないかと思う。

西洋的な文明・文化を取り入れながらも、
明治以前の元来日本人が備えていた精神性について、
しばし心を傾けていきたいものである。

https://youtu.be/_oZWw7LuXtE?t=3m46s
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御精進

今年の黒石寺は、妙に暖かかった。
ただそれは、祭を見守る側にとってだけの事情である。

肌を刺すような雪、そこに裸で転げ落ちる男たち。
そんないつもの光景は嘘のように、本堂まではぬかるむ道を漕ぎながら進む。
蘇民祭は、今年も粛々と、伝統の灯を絶やさずにいた。

石段を下り、瑠璃壺の川瀬に、そっと片手を浸す。
外気からは想像もつかない痺れを覚えた。
これからここに沈み、これから水を浴びる男衆。
遠くから、ジャッソーの声が木魂する。
暖冬と言えど東北。厳寒の修練であることに変わりはない。

若者の祭になった、そんな気がした。
地元では、一週間前からの「御精進」がごく自然なものとして受け入れられているという。
肉も魚も鶏卵も、韮や大蒜も、そして出汁すらも受け付けない暮らしとは、
現代において異形そのものとさえ言える。
それを時代が違うと否定するのは容易だが、
この町の人たちは頑なに守り、信じ、生き続ける祭として伝承する。
これを越える精神性とは、何か。

普段は静寂を守る一山を、夜中、褌一つの若衆が大挙して進む。
照らす灯りの角灯はほの明るく、凛々しく締まった素顔は赤みを帯びる。
凍てついた石段、泥まみれの参道、古式に則った者は草鞋を履く。
一切の煩悩は去って、生きるということの重さを仏に問う。
この非日常を、我々日本人は忘れてしまったのではないか。

とかく東京のメディアは、この祭を「奇祭」と呼ぶ。
しかし、地元の人がこれをそう呼ぶのは、一度も耳にしたことが無い。

何がどう「奇」なのかと言えば、
見方によっては、古来から守られてきた我が国の芯の部分を置いて、
目新しさだけで世を啓発しようとする動きそのものではないか。

実直に、質実に、剛健に、遠い父祖から受け継がれた祭を受け継ぐ姿こそ、
奇の対をなす「常」ではないのか。
地域に生き、守り、育て、作り続ける彼らが
その暮らしの「常」に「御精進」を置いていることの重さを思えば、
軽々しく奇祭などと呼んでいけない。

岡山に西大寺会陽、愛知に国府宮裸祭と、
「奇祭」と呼ばれる風潮にある祭は多くある。
その共通項が「褌姿」であるが、
これを単純に「Naked Festival」と訳すことにも慎重でありたい。

異なる文化圏へのアプローチは、
その背景にある精神性への言及なしには成立しえない。

現世からの離脱のために、
彼らは「日常」の衣服を脱ぐ。そしてその正装が今、六尺褌である。

黒石寺蘇民祭において、激しい揉み合いによる不測の事故を受け
かつては褌の着用すら無かったという。
西洋的倫理観の流入、ひいては当局の指導により、
今では六尺褌の着用が義務付けられている。

つまりこの点のみで言えば、六尺褌は蘇民祭にとって伝統的なものでは無く、
「非常」を体現するためのシンボリックな衣服として
現代において選ばれた装束と言える。

「非常」は「奇」ではない。
氷の張った渕から幾度も冷水を浴び、
山を登り下る所作を繰り返すプロセスは、
六尺褌を締めて気勢を上げる段から、
潔斎のヤマ場への道を開いている。
「単に裸であること」以上の祈りが、ここには込められているのだ。

この瞬間、何ら、自らを守る術がない。
「極楽浄土」を「Pure Land」と訳すように、
この一人一人の「純真無垢(Pure)」な状態が、
極楽浄土へ到達した精神状態とすら私には思える。
彼ら「善男」は、ひたすらにPureを求めて、
なおも火を浴び、煙を吸い、極限の深夜に身体を追い込む。

それだけに荘厳で、思わず手を合わせてしまう祭、
それが蘇民祭の真髄。
多くの日本人が、忘れてしまった文化が、ここにはまだ残されている。
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清廉潔白

今年も、みちのくに「黒石寺蘇民祭」を訪ねた。

平日只中の挙行となった今年は、俗界からの人出も鈍い。
しかもその日は、「真冬の底冷え」
暦の上では立春を過ぎたが、北の風は容赦を知らない。
何の思召しか、一山周辺は局地的な降雪で、
否が応にも、祭の気分を盛り上げてくれる。

まずは地元の温泉で暖を取り、
山中の堂宇を目指しタクシーに乗った。
綿雪が深々と降り積もり、往来も随分と寂しくなる。
本当にこの道で大丈夫か、とばかりに片側へやおら停車する車両を掠めて、
曲がりくねった坂道を、右へ左へと越えてゆく。

早めに到着したのには理由がある。
多くの人々は「蘇民袋争奪戦」の行われる早朝4時を目指すが、
クライマックスだけを拝んだのではそろそろ礼を失しないか。
そんな思いが脳裏をよぎったのだ。

そのせいか、どうもいつもと、眺めが違う。
祭を取り仕切る古老たちの姿が、かつてほど見当たらない。
一升瓶が転げる酒宴も無い。
あるいは鬼籍に入り、闇夜の天上から見下ろすばかりとなったか。

寺印が捺された真新しい晒と、黒足袋が売られている。
売店には梅干しと甘酒。
蘇民食堂には蕎麦と地酒、粗削りさが祭に似つかわしい木札。
「褌の締め方分からないんですけど」と、
札所に駆け込む二十歳そこそこの童顔たち。
今や風物詩とさえ言えるが、時代の流れである。
地元の有志と思われる青年が圧倒的に多い。
その姿は、用意周到な装束の違いで分かる。

祭は「夏参り」と呼ばれる、一連の「清め」で始まる。
いや、厳密に言えば、この一週間前から行われる「御精進」からが本来の始まりだ。

肉や魚は勿論のこと、
大蒜や葱といった刺激のある野菜、さらに女体との接触も忌み事となる。
夏参りの参加者はこの間、いかなる理由であってもこれを守らねばならない。
味噌汁の出汁取りを嫌うなど、原材料に遡る徹底した戒め。
冗談としても「草食男子」とは正に、言い得てこのことである。
この精進により五感が一層鋭敏になるとも聞く。
世に言う「草食系」とはまるで違うのは、彼らの眼差しの凄味。

場内呼びかけを待たずして、彼らは莚小屋で徐に裸になる。
かたや手慣れた手つきで締め込み、かたや手さぐりに近い所作で晒を巻く。
あぁでもないこうでもないと仲間内で笑いあいながら。

かつては晒胴巻きも目立ったが、今は違う。
昔は奇祭と言うより秘祭に思えたが、そんなおどろおどろしい雰囲気も無い。
潔く六尺褌一本でスッと飛び出し、気勢よく雄叫びを上げる。
細波が大波に交わるように、また一人また一人と、男の背中が増えてゆく。
裸の大群は灯を手に、「ジャッソー」の掛け声を上げながら寺を巡る。
勢い、足元も見えない坂道を、ずっと標高差のある極寒の川面へとさらに下る。
その水垢離場を「瑠璃壺川」と言う。

漆黒の闇夜に、雪の白、褌の白。
その「白」は、脳裏に浮かぶ一切の世俗を消し去った。
まさに「清廉潔白」

墨文字の黒が蝋燭の灯に揺れて、
照らされる男たちの凛々しい表情と言ったら無い。
その姿を追う娘たちの眼差しは熱く、
誰彼ともなくその名を叫ぶ者もいた。

彼らはあれよあれよと水に沈んでは飛沫を上げ、
氷点間近の水を桶に汲み、真上から全身に浴びせる。
その勇壮な姿を我先に捉えようと、大勢のカメラマンが対岸に陣取る。
あるものは水面に浸り、急斜面を転げ押し合う。
彼らの眼差しもまた、真剣そのものである。

瞬くフラッシュが一瞬に重なると、その水面は
まるで瑠璃のように碧く輝き、幻影となる。
さながら舞台。男たちは大見得を切るように、シャッターの奥に収まる。
清々しい。

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しかしまだ、これはほんの序章に過ぎない。
冷え切った体そのままに、寒風に身を晒しながら崖っぷちを往く。
元の本堂へ上り、さらに奥にある山中の石段を上がっては御堂を巡り、
再び下っては身を清める。
都合三巡、到底、平常心で居られない。
男たちが群れ成す光の帯は圧巻。
この頃、馨しく官能的な香が焚き染められ、渾然一体となった空間は
見るものをすっかり虜にする。

行者でも修験者でもなく、
ごくありふれた日常を過ごす人々がこのような荒行に進んで挑む。
生まれたままの姿で土に、水に還る。
その貴さ、美しさ、清らかさ。
裸から発せられる、もうもうと立ち上る湯気は尋常ではない。

「一番きついの、これで終わりですか?」
初めて参加したと見える若い声が震える。
いや、濡れた体を拭いてもこの寒さは芯に来る。
手足指先の凍りそうな夜を徹して、これから睡魔とも戦わねばならない。

束の間、男たちに許されるのは、
小屋の中で小さな焚火を囲むこと。
各々緩めた褌を梁からぶら下げ、簾となる様もまた、この祭ならでは。
日付を跨いで、次は火と煙に清められる瞬間を只管に待つ。
火の粉を浴びるから、濡れた褌を替えることはしない。

「4時から?」
「一番冷える時間だな・・・」

どうも、この辺りが「境界」らしい。
ベンチコートを羽織る者は次への備え。
すっかり「今どき」の普段着に戻った者もいる。
もはや堪えかねてもおかしくはない。

「キャンプファイヤーは何時だ?」
地元の人がおどけて見せる「火たきのぼり」
生木と乾いた丸太を組み合わせて、上手に組み上げる。
この周りを廻って、さらにその上の上るという「清め」
不思議なことに、服を着ているよりも素肌に当たる火が温かい。
どうも「冷やかし」たちは、この辺りからの途中参加のようだ。

ここからが、「いつもの蘇民祭」
本来の流儀を外しての途中合流の面々に、
何か急に俗が聖に入り組んだような、率直にそんな気がした。
逆に「聖」は、この時点で幾人か離脱していたように見える。

本堂には、「クライマックス」を撮り貯めようと多くの俗人が入り込む。
数年前の「ポスター騒ぎ」にはうんざりしたが、
聖を俗なものへの穢す過程そのものがそこにはあった。

裸の男たちは、足袋しか履いていない。
その足を、ブーツや長靴で徒に痛めるのは如何なものか。
一脚にビデオやカメラを取り付け、高所から狙う。危ない。
少なくとも、争奪戦の間は堂内に立ち入るのは止めさせた方が良いと思う。
寺と祭と、その保護保存に携わる方々の「尊厳」のために。

「クライマックス」と言う言葉を避けたいとさえ思った。
「何時頃が一番面白いんですか?」
そんな来訪者の言葉も、理由の一つではある。

時代は変わっても、祭を巡る歴史の中で、
あらゆる所作が守られてきたことの重さ、
これからも守られてゆくであろうことを、噛み締める。
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演出としての締込

過日、NHKで太鼓奏者の林英哲氏の対談番組を拝見しました。
曰く、「恵まれない境遇を嘆かない」
この言葉の重みは沁みました。

打芸より気迫を先に問うた先達。
そこに今も確かな疑念を持つ。その分野の頂きを知る人ならではの感慨です。
しかしごく客観的には、そこに、往時の時代の空気を思う人もいます。

当時だから出来たこと、今では決してしないこと。
褌姿で舞台に立ち、背中を見せて撥を持つ。
当事者の気持ちとは別に、この演出が今なお息づき受け継がれるのは、
あるいは、舞台演出としては秀逸だったからではないか、そう思うのです。

今回、舞台や祭礼などで和太鼓を演奏する際に、
「衣装として六尺褌を用いることのある団体および個人(団体非所属)」を調べてみました。
内訳として、プロ・アマおよび個人団体の違いは問わないこととしました。

北海道 1
東北 3
関東 5
甲信越 2
中部 2
中国 3
四国 1
九州・沖縄 4

いかがでしょうか?
ご覧のように、全国にあまねく存在していることが解ります。
この数は多い、若しくは少ないと感じられたでしょうか?

上記とは別に、
「かつては恒常的に用いていたが現在は用いていないもの」が
3団体(東北2、関東1、中国1)
「コンテストなど特別な場合に用いた例が過去にあるもの」(関東2)
が、それぞれあるようです。
これはメンバーの入れ替わりによって、演出効果の変更を余儀なくされた、と推認します。

もっとも、その着用は
「年に一度の祭礼や大会場での公演」など
「特別な場合」に限っているところが少なくありません。

つまり、褌姿での演奏が、もはや一つのシンボルになっている奏者がいる一方で、
その「非日常性」こそが強さだと認識し、
特別な時にこそ「褌を締めて掛かる」向きが多いのでしょう。

「海外公演」では、明らかに鼓童や鬼太鼓座を意識しているでしょうし、
「和太鼓コンテスト」では、衣装への加点項目があったとしても、
目の前の肉体という衣装は、なかなか越えられないように思います。

実際、多くの人にとって、褌姿で太鼓を打つ奏者を目にする機会は非常に少ないはずです。
しかしながら、現実には「こんなに多いのか」と私は感じました。

見たことも無い状況が、
そのインパクト所以に情報として伝播され、
「太鼓と言えば褌」という「目にしてはいないが暗黙に共有されている」という
大変不思議な状況に置かれています。

これは、時代を越えて、
センセーショナルがムーブメントに変わった、
と言えるのではないでしょうか?
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アメリカの褌

外国人の目に、六尺褌はどのように映るのでしょうか。

「褌を締め直す」という言葉と、それが生まれる風土、背景を知らない彼らにとって、
それは単に「下着」であり、露出度の高いパンツという評価に成らざるを得ないでしょう。

この傾向は現代の日本にも言えることで、
ネット上、「ふんどしの巻き方」や「ふんどしの結び方」「ふんどしのつけ方」で
検索している方が多いことからも窺えます。

越中褌との区別も曖昧ですから、
これを「締める」と表現したり、越中褌を六尺褌と誤解して
「締め込もう」としている人さえいます。

最も驚いたのが「ふんどしの穿き方(ふんどしの履き方)」という表現。
六尺褌は「締めるもの」、同時に心を引き締めるもの、
祭礼でも馴染みの霊性を帯びた衣装。
日本人からも、そういう感覚は急速に失われつつあります。

さて、米国に数ある太鼓集団の中にも、
鬼太鼓座や鼓童の影響を受け、六尺褌を締めて太鼓を打つ団体がいくつかあります。
「taikoproject」はその一つですが、
ここに「外国人にとっての六尺褌」を見るヒントがありました。



ドラムの一種として受け入れられた日本の太鼓。
日系人と思しき奏者が、粛々と大太鼓を打ち鳴らします。
ステージの画面にはその説明が表示されるのですが…

「昔の日本じゃ、チップを奏者の褌に入れたもんだよ。
…まぁ、冗談だけどな」
「君も早く彼みたいに褌一つになれよ、みんな待ってるぞ!
 (大きく首を振って嫌がっている演出)」
「褌姿になった途端、君ちょっと張り切り過ぎなんじゃないのか?
まぁ、そんなところも悪くないけどな」
(意訳ながら)こんなところでしょうか。

固唾を飲んで見守るような真剣な空気の中に、度々ジョークを織り込んだ演出。
これは全く、米国人ならではの感覚…

神社仏閣でも、太鼓は特別な場面で用いられる神具・仏具。
思えば、「笑いの要素」を取り入れた鬼太鼓座の舞台も、
太鼓では笑いを喚起せず、剣玉など他の要素を用いています。
しかもそれは、ジョークではなくユーモア。
日本人特有の感覚を、逆に教わったような気分になりました。
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半幅についての私見

六尺とは現代、あくまでも長さを限定する言葉ではないことをお伝えしました。
今日は、布の幅を半分にする「半幅」について、私見を申し述べたいと思います。

インターネット上を回遊しますと、
現代、「半幅」と呼ばれる、文字通り半分に裁った褌が散見されるようになりました。
果たして、この風潮はどこから来たのでしょうか。

越中褌と違い、締め込み型の六尺褌は、単に「陰部を覆い隠す」という目的のみならず、
「下半身の安定を図る」という実効的な役割を担っています。

例えば腰痛でお悩みの方がおられましたら、
ぜひ一度、六尺褌を締めてみては如何でしょうか。
より強く効果を実感できるのは、横ミツを二重三重に回した場合。
下腹部と骨盤の安定が図られ、非常に楽になります。
近頃では、「サラシ巻きダイエット」というものが存在するようですが、
これは六尺褌の延長線上にあるような気がしています。

かたや半幅の場合、布にボリュームが無く、
「締め込んだ」実感が薄いように感じ、
祭礼など他人様の目につく場合には、抵抗を感じます。

もっとも、現代は和装の機会も減っていますから、
純然たる下着として使われる場合には「半幅」が良いのでしょう。
必要以上に存在感のある褌は、追いやられる運命にあるのかも知れません。

天下の奇祭として高名な、岡山県の「西大寺会陽」
ここで売られている下帯(褌)は、幅こそ半幅ですが、
半分に裁たれたものではなく、あくまでも折られたものです。
さらにそれを反物のように巻いたものに、御朱印が押されています。
これが半幅では、さながら包帯のような姿になってしまうでしょう。

「全幅では前ミツがオムツのように見えてしまう」
ネット上ではそんな言葉も目にしました。
しかしあくまでも、これは「締め方」に起因するような気がします。

現代、ボクサーパンツやブリーフが、快適性を求めて立体裁断を追求するのは
体のゆとりを実現するがためで、六尺褌はこれを締め方で補っています。
「ねじる」「からめる」「ひく」「まく」「むすぶ」
一連の動作を経て初めて、一枚の布が上質なウェアに生まれ変わる文化。
前ミツも、緩い逆正三角形よりは、鋭角の際立つ逆二等辺三角形が美しい。
これはまさに「美学」の領域です。

昨今、国内の大手アンダーウェアメーカーからは
「ふんどしネクスト」なる商品もお目見えしているようです。
いずれは、世界に冠たる日本の繊維業メーカーから、
蒸発性や通気性に優れた新素材の六尺褌が誕生するかも知れません。

七尺褌

六尺褌と言えば、晒一反木綿を手ずから裁って下ろすもの。
そんな思い込みは晴れて、
インターネットで注文する時代が、だいぶ以前から到来しています。

もとより、東京・浅草寺界隈を歩きますと、
古くからの商店、とりわけ祭用品専門店では、
様々な図柄の反物が揃えてあって、
それが「六尺褌」であることは、知る人ぞ知る常識。
同じ柄の手拭は既に切り揃えられていますから、
褌とその柄、その色を合わせるなど、
それぞれの粋を競う風土が定着しています。

それが今、旧きよき姿はそのままに、
よき時、よき場所で褌が買えるようになったということは、
時代の流れに応じた「よき事」と言えるでしょう。

ただ正直を申し上げれば、
晒の六尺ならば自作のほうがコストパフォーマンスも高いのに、と
少々所帯じみたことも思い巡らします。

さて、締め込みと呼ばれる褌が「六尺」と呼び習わされているにも関わらず、
はじめから六尺の長さに裁たれていないことに、疑問を呈す向きもあるようです。

誤解もまだ多いようですが、この六尺とは、
尺貫法で言う長さ「一尺=約30.30cm」×6=約180cmではありません。
日本では古くから、着物の仕立てについては
「鯨尺(呉服尺)」と呼ばれる特別な単位が用いられており、
鯨尺で言う長さ「一尺=約37.88cm」×6=約227cmが正しい数値となります。

ただし、江戸時代以前に比べて格段に体格の向上した日本人が、
この「鯨尺六尺」で締め込みができるかはまた別問題です。
殊に、捻じり上げて締める場合は布に幾許かの余裕が必要で、
細身の方ならばともかく、実際は余裕を見て「七尺褌=約265cm」程度に
裁つことが多いようです。

「(通称としての)六尺褌」の長さを表す言葉に、
「一尋半(ひとひろはん)」があります。

これは、「両手をざっくりと広げた長さ=一尋=ほぼ身長と同じ」と同じに、
「指先から胸の正中線までの距離=一尋の半分」を足した数値です。

つまり現代風に換算すれば、
例えば身長180cmの男子ならば180cm+90cm=270cm+α。
ほぼ、「七尺褌」であることが解ります。

僅か180cmの褌を、身長180cmの青年が締めることに無理があるわけです。
また体格のよい向きは相応に幾らでも余裕をもってご準備されるのが望ましいと考えます。

万一、六尺という言葉の意味を追求するあまり
このことをご存じない方がおられましたら、
お知らせ申し上げたいと思います。
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祝祭のまちで

太鼓芸能集団「鼓童」の、浅草公演を目にする機会を得ました。

浅草と言えば、東京ではかつての「大衆芸能」華やかなりし頃、その原初たる地。
彼らがなぜ今ここに、との思いを胸に抱きながら。

やはり見どころは、「大太鼓」です。
何しろ、「一人打ち」を確立したのは他でもなく彼ら。
今やどの地方の太鼓コンテストでも、当たり前のように行われているこのスタイル。
鬼太鼓座から鼓童に連なる歴史の、日本の太鼓文化への影響力を物語ります。

時代は絶えず移り、人は新しいスターを常に追い求めます。
カリスマ性がなければ、とてもこの舞台は務まりません。
時に技や体躯を越えた、魂のようなものの作用を感じることさえあります。

演目「大太鼓」はその極致。
奏者はふんどし一丁、文字通りの裸一貫。
櫓の上で孤立無援、一身に視線を浴びながら、自力の一本勝負。

飾るものも捨てるものも隠すものも無い。
その「潔さ」に、我々はまず、固唾を飲みます。

背筋の密な動き、はち切れんばかりの大腿筋、どっしり発達した大臀筋、
鞭のようにしなるはじめの奏者。

広い肩幅から繰り広げられるダイナミックな撥さばき、
繰り返す打音に呼応して、勢いよく全身で奮う次の中堅奏者。

大きく脚を開き、祈るように太鼓に向かいながら、
若さ一杯に荒々しく立ち向かう23歳の奏者。
彼はまだ体つきこそ発展途上だが、この若さで大抜擢されたようだ。

それぞれの奏者の、それぞれの打芸の違いがいい。
最初の奏者は次の演目「屋台囃子」で、鼓童創立メンバーを思い起こすような
非常にキレのある動きを見せてくれた。

彼らにとってそのルーツとゆかり深いこの地で、
原初の響きをさながら揺り起こしたような、浅草での上演。
思えば、先に鬼太鼓座もこの土地で上演を果たしている。

浅草には芸能文化の誇り高い記憶が刻まれている。
それは神や仏への祈りを背景とした、祝祭性そのもの。
三社祭のために一年を過ごすような、そんな人々の街であればこそ。

昔の日本人と違い、スラリと伸びたその体に
褌はあまりにも異次元なような気もする。

なぜ敢えてそんな古めかしいいでたちで、と思う人も少なくないだろうが、
これはあくまでも下着と同列に語ってほしくはない。
何しろ彼らは、「穿いている」のではなく、「締めている」のである。
三社祭の要所で、これを取り囲むあらゆる人々が締め込みをするのに近い。
この心意気は、極めて神聖だ。

加えて、筋繊維の一つ一つまで詳らかにするようなこの衣装は、
やはり特別な意味合いを内在している。

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キティちゃんのふんどし

「ふんどし姿のキティちゃん」
まずはそのフレーズすら、まずい気がします。

ご当地キティグッズとして、ご存じ「キティちゃん」を
九州博多風に仕上げたまでは良いが、それがご当地の許可を得ないものであった。
そんなニュースが目に留まりました。

締め込み姿に水法被、そんな勇ましいいでたちの祭として全国的に有名な
「博多祇園山笠」をモチーフに、博多ならではの「キティちゃん」が登場。
おそらくは、地元山笠振興会の許可を得るという発想そのものが
製造メーカー側に無かったのかも知れません。

「祭」というのは本来、観光客を寄せるものではなく、
地域の結びつきや伝統の継承、再確認の場だと私は考えます。

すっかり都会となった博多のビル街を、
古くから守られてきた祭がほぼ2週間にわたって席巻する。
この姿を、私もかつて憧憬の眼差しで眺めました。

時代を経て、簡潔かつ様式化されたいでたちは、さすがに美しいものです。
締め込みは若者を中心に柔らかなデニム地が好まれるとか、
徐々に新たな良さを加えながら、祭は進化しています。

さて、この騒動、地元で「締め込み」と呼ばれているものが
一部で「ふんどし」と呼ばれているのが大変気にかかります。
また、「お尻を出した状態が」という部分を面白おかしく、
まるで茶化すように報じられ、大変不謹慎に思いました。

あくまでも「キャラクター」とは言え、
「キティちゃん」が締めているのは「赤い六尺褌」
明らかに博多で言う締め込みではなく、他の祭礼を彷彿させるものです。
許諾を得る得ない以前に、この点にも首を傾げてしまいました。

あすから始まる、博多祇園山笠の無事を祈りながら。
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福寄せる響きと

青葉若葉が萌えいずる、皐月の空に響く声。
軽快な笛の音を背に、老若男女が入り乱れ、
ソーレソーレと跳ね回る。

用務でみちのく宮城を訪ねる機会があり、
しばしその週末、旅気分を味わいました。

桃山建築の粋を集めた華麗な建築を拝し、
鄙の華人と呼ばれた政宗公のご遺徳を偲びつつ。
整然と伸びた街路樹の一つ一つ、煌びやかで艶のある衣装、
この町の誰もが、その美しい継承者であることを認めるに至りました。

眩しい梢から降り注ぐ光の中に、
杜の都の名に恥じぬ、絢爛豪華な山車絵巻。
その中に、ひときわ目を引く山鉾を見つけました。

見上げるばかりの大太鼓を乗せ、奏者がその両側に陣取り、男伊達を競います。
脇を固める女性奏者の締め太鼓、山鉾を引く大勢の面々。
都会の大路を静々と、六尺褌を締め上げた若者がバチを振るう様は祭の真骨頂。
沿道からは喝采が沸き起こり、惜しげもなく拍手が寄せられます。

見るからに打ちなれた卓越の者もあれば、
戸惑いながらも促されるように太鼓へ向かう姿も。
初めてこの山鉾に上ったという若い奏者の、緊張と充実に満ちた表情が印象的。
まだ細く、それでいてしっかりと鍛えられた身体に締め上げた六尺は
太鼓に寄せる気迫そのもの。

脚をしっかりと据えつけながら、
山鉾が進むにつれ、時折バランスを崩しそうになる時々に、
後ろからそれを支える諸先輩方のご配慮も、美しいものでした。

女性奏者も印象的でした。
見るよりも相当の体力が要るバチ捌き。
体の重心を下げ、体躯を大きく超える目の前の大太鼓に立ち向かう様は、
まさに「格闘」以外に言葉が見当たりません。

鮮やかな緑色の街を背景に、打ち鳴らす福招きの大太鼓。
東北の復興を心に誓いながら。
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六尺褌と歩く③~奥の鳶、その粋~

「裸参り」という言葉がある。
代表的なものに宮城県・仙台の大崎八幡宮で行われる「どんと祭」
そこで行われる大規模なものがあるが、
百万人の近代都市を、古式ゆかしいいでたちで進む姿もまた美。
勇ましくも女性の参加者がことのほか目に付く。
かの伊達政宗公が白装束で参陣したというエピソードまでも脳裏に浮かぶ。
企業参加など、多くは胴巻と木綿の祭ズボンの中、
勇ましくも六尺一本の姿で挑む学生もいた。
幟には大学の所属部が染め抜かれている。
まさに「平成の伊達者」と言うべきか。

北へ上って岩手県・盛岡の裸参りは、やや趣を異にした。
厳格で重厚で質実剛健、
さながらこの地が生んだ新渡戸稲造「武士道」の世界である。
胴巻に白褌、藁で作られた牛蒡巻と向う鉢巻、さらに紙垂。
さながらその人こそが清浄かつ清廉な、横綱の土俵入りさえ想起する姿。
草鞋の指先はさぞ冷たかろうと、心配るずっと先の「痛さ」

印象的なのは、口に銜えている三角の「はさみ紙」
神前への供物が穢れないように、吐く息を閉ざすという。
お百度参りの名残で銭を挟んだとか、寒さを堪えるため唐辛子を挟んだとも聞く。
いずれ、真一文字に結ばれた口に言葉は無い。
言葉を放ってはいけないのだという。

見守る我々も、一行を横切ることは絶対に許されない。
道中の男たちは振り返ることも認められない。
彼らに少しでも触れることがあってはならない。
ただひたすら歩くのではなく、鳥居をくぐったその時から、
最大限に膝を曲げ、静かに左右の雪を踏み固めるように押し進む。
そうした一連の「定め」にこそ、美学がある。
もし、この祭礼を目にする機会があるなら、
そうした地元の方々が大切にしている思いを大切にしてほしい。

彼らを一番傍で見守る世話人の姿も一様である。
「御用鳶」と染め抜かれた半纏の理由を聞くと、
藩政時代に当主から御用を与った消防組という。
数百年続く「自警消防」がこの祭を支えていると知り、驚愕した。
確かに、次代を担う年少者に事細かく教えを与えている青年の背中に
FIRE VOLUNTEER と反射素材で現代風に。

または背中に旧藩の御紋を染め抜き、
あるいは祭礼で神輿を担ぐ鯔背な男達が役を担う。
受け継がれる精神の美しさが、一層精悍なその所作を高める。

身支度を整える銭湯も廃れ、今では健康ランドで褌を解くとか。
何もかも変わる世の中ではあるが、祭は途切れることがない。
しかも裸参りはこの他にも、いくつかあるのだという。

道すがら、消防団の方に「はさみ紙」を頂く幸運に恵まれた。
同様に手にした土地の女性に聞けば、願いをしたためて神棚に飾るのだというが、
しかしこれ手にできることは稀だ、と嬉々として言う。

しかも「もっと差し上げますか。私はもう貰いましたから」
重ね重ね、この土地の人の心の優しさに触れた。
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六尺褌と歩く②~現世の仏国土を往く~

「世界文化遺産」に登録された岩手・平泉の文化に、
長く伝承されてきた祭礼がある。

平安の昔より天台の教えを奉じる毛越寺。
摩多羅神を祀る祭礼の一環「二十日夜祭」は、
世界遺産の主要な構成資産であるこの寺院に伝承されるもので、
褌姿の男たちが、松明を掲げて行進する。

想像していたより、ずっと賑やかだ。
平泉駅前には、下がりのある六尺ふんどしに
胴巻姿の男たちが集い、今か今かと出発の時を待っている。

何より凄いのは、彼らを追わんとする女性たち。
他の寒詣同様、「厄除け」の意味合いもあるようだが、
参加する人々の年齢層も多岐にわたっている。

手に高提灯を掲げ、また松明を抱く者もいる。
この地独特の気風なのか、凍てつく寒さに震えながら、という雰囲気ではない。
あくまでも陽気な裸参りである。

重要なのは門内に入場してからで、
松明をお互いにぶつけ合いながら奥の常行堂を目指す。
この姿が見どころなのだろう、多くのカメラマンがフラッシュを焚いていた。

隊列は浄土庭園の池をぐるりと巡りながら、常行堂を目指す。
心もとなくなるような縦ミツに寒さを感じながら、
悠久の古都を後にした。
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六尺褌と歩く①~とある小さな蘇民祭より~

「蘇民祭」の起源は、「蘇民将来」の伝承に基づくという。
詳しくは専門の文献を当たられたいが、その名の人物にまつわる行事だともいう。

他説、古代東北を計略したヤマト王権と、
往時現住していた先住者たちの戦いに重ねる方もおられる。
なるほど、この祭の代表的な開催地は奥州水沢、往古戦いの爪痕深い山間の地、
いま人は「奇祭」と呼ぶが、むしろ著しい世の中の移り変わりの中で、
最も原初的な祭の作法が残るとも言えるだろう。

調べてみると、現在の岩手県にはこうした「寒詣」の風習が色濃く残る。
蘇民祭の総本山とも言うべき「黒石寺」は
おそらくは関係各位にとって「思わぬこと」で全国的に著名となったが、
知られることもなくひっそりと守られている蘇民祭がいくつかあるのだという。
ずっと世俗に知られることのない、ごく小さな集落の蘇民祭を追った。

祭の本義として、コミュニティ結束の確認がある。
しかし少子化や人口流出の波はもれなく寄せ、
実際には当該地区周辺の参加者によって成立している。
興味深いのは、同様の寒詣を持つ地域同士が、その存続に結集していることだった。

この蘇民祭では、参加者がともに同じ色の鉢巻を用い、
同様の胴巻・白褌を締め上げて参加する。
殊に「褌」ではなく「さらし」と言い習わすのがこの地方で、
胸から下をきつく巻きつけるスタイルに統一されているのが美しい。

夕刻、上半身裸のまま拝殿での祈りが続き、しばらく御神楽が響き渡る。
この時点で相当芯まで堪えるはずだが、参詣者は動じない。

身支度を整え、褌姿で現れた若者たちは、
赤い向う鉢巻も勇ましく境内をぐるりと巡り、行燈を掲げて願意を示す。
赤々と上る炎を囲み、且つ又その上に駆け上り気勢を上げる。
軽妙な土地言葉の古老がいい。
やおら、山内節をうなるその姿もまた、いい。

何度も何度も炎を旋回した後、静かに一団は去る。
見上げると舞台には、力強く響く和太鼓があった。
燃え盛る火と打音に、否が応にも気分は高まる。
そこへ一通りの演目を終えて引いた二人の奏者が、もろ肌を脱いで現れた。
筋骨隆々、褌姿でのクライマックスである。
煌々と照らされた肌も鮮やかに、舞台は佳境となる。
汗をにじませて深々と頭を下げた一人は駆け出し、
黄色い向う鉢巻で肉弾戦に決起する一団と合流し、
その姿のまま蘇民袋争奪戦に飛び込んだ。
彼は数少ない地元地区からの参加で、
最後には、無事に「取り主」の一人になったようだ。

取り主を決めるまでは、血気盛んな戦いである。
しかし事が決まれば、蜂の子を散らすように引いてゆく。
雪上に展開する赤い肌、闇夜には都会では絶対に見られない星の粒。

文字通り、一山挙げての厳寒の祈りである。
「イベント」ではない、祭の原点を見たような気がする。

祭りの〆に、麻の蘇民袋そのものを鉈で切り裂き、
縁起物として分けていた。幸せを約束するものだという。

管理人は全くの部外者ではあるが、
土地の若者がその一部をさらに割いて手渡してくれた。
幸せを分かち合う土地の人情に、心満たされる夜であった。